/ ジャーン \
普段はWindowsで作業しがちなのですが、出先で使う用にMacも持っています。うちのWindows機はデスクトップなので性能はいいのですがどこでもは使えないのがネックです。。。 また、打ち合わせをしたりするときにはマイクもスピーカーも備えているし手軽なのでMacを使いがちです。あれ?それならMacで議事録作れたほうがいいじゃんと思ったのです。 前回の記事でWhisperを動かしたのはJetson AGX orinです。 小さくて、GPUを備えていて、そんなにFANが唸ったりもしない非常にかわいいやつなのですがいかんせんディスプレイもマイクもなく、Linuxなので会議に使う気も起きないと。。。 そして、Whisperのことを調べているときに以下を見つけました。
Whisper.cppというもので、
OpenAIのWhisperをC++言語で書き直すことでCPUでも高速に動作可能にしたものとのことです。しかもこれ、Applesillicon用にcoreMLというものをサポートしているとのこと。coreMLについてはちゃんとは理解していませんがApplesilliconで機械学習とかの推論処理を高速化するようなやつだと思ってます。 せっかく持ってるMacなのでちゃんと使っていきたいと思います。
①今日のコンセプト
MacでWhisper.cppを動作させ、本家Whisperと速度の比較も行っていきたいと思います。 ちなみに、Macのスペックは以下のようになっています。
M1 MacBook Air 2020 チップ: Apple M1 chip 性能・ハードウェア CPU: 8-core CPU GPU: 8-core GPU RAM: 16GB ストレージ: 1TB
Macbook Airなので動作させているときにFANで冷却ができないのでそこが不安ですね。。。 こちらは保証期限が切れているので、サーマルパッドを仕込んで背面パネルまで熱が行くようにちょっとだけ改造しています。同じM1 MacbookAirでも多少数値が変わる可能性がありますので、参考値として見ていただければと思います。
②準備
②-01. Gitのクローンまで
Whisper.cppのGitのページを参考に進めます。 まずはWhisper.cppをインストールしていきます。 ※pythonの推奨バージョンは3.10以降
cd AI
git clone https://github.com/ggerganov/whisper.cpp.git
AIフォルダ内に入れていきたいと思います。続いてgitからデータをクローンしてきます。
git clone https://github.com/ggerganov/whisper.cpp.git
cd whisper.cpp
わかりにくいですが、フォルダ名の「Whisper.cpp 」は最後に半角スペースが入っています。拡張子と判定されてしまうのでエスケープしてるみたいです。 続いて、coreML用のモデルを作るために必要なものインストールします。
pip install ane_transformers
pip install openai-whisper
pip install coremltools
②-02. モデルのダウンロード→コンバート
まずは通常のモデルのダウンロードから。
./models/download-ggml-model.sh tiny
./models/download-ggml-model.sh base
./models/download-ggml-model.sh small
./models/download-ggml-model.sh medium
./models/download-ggml-model.sh large
続いて、coreMLのモデルをダウンロード・変換を行っていきます。 1つのコマンドを実行したらコンバートまで行ってくれます。 公式のREADMEにも書かれていますが、medium・largeに関してはかなり時間がかかります。まじで1時間とかでは終わらないので寝てる間にやっておくぐらいの感覚でやってみてください。検証のために全部落としたのでかなり時間がかかりました。。。
./models/generate-coreml-model.sh tiny
./models/generate-coreml-model.sh base
./models/generate-coreml-model.sh small
./models/generate-coreml-model.sh medium
./models/generate-coreml-model.sh large
モデルのダウンロード後、コンバートを行う際に以下のエラーが出ました。その場合は下記のコマンドを入れてから再度実行してください。
xcrun: error: unable to find utility “coremlc”, not a developer tool or in PATH
mv: rename models/coreml-encoder-base.mlmodelc to models/ggml-base-encoder.mlmodelc: No such file or directory
sudo xcode-select --switch /Applications/Xcode.app/Contents/Developer
②-03. ビルド
モデルが用意できたら次はビルドです。
make clean
WHISPER_COREML=1 make -j
モデルのダウンロードの際にエラーで苦戦したのですがここはあっさり突破です。
③Whisper.cppの実行
前回の記事で使用した夏目漱石のこころを朗読したYoutubeの音声を再使用します。 音声の長さは11分30秒となっています。
③-01. 実行コマンドの確認
では実行していきます。コマンドは下記です。 オプションの内容は、 -l:ja(日本語で検知) -otxt:テキストファイルに書き出す --output-file:filesフォルダにkokoro.(モデル名)で書き出す -f:filesフォルダのkokoro.wavを文字起こしする
./main -m models/ggml-tiny.bin -l ja -otxt --output-file ./files/kokoro.tiny -f files/kokoro.wav
./main -m models/ggml-base.bin -l ja -otxt --output-file ./files/kokoro.base -f files/kokoro.wav
./main -m models/ggml-small.bin -l ja -otxt --output-file ./files/kokoro.small -f files/kokoro.wav
./main -m models/ggml-medium.bin -l ja -otxt --output-file ./files/kokoro.medium -f files/kokoro.wav
./main -m models/ggml-large.bin -l ja -otxt --output-file ./files/kokoro.large -f files/kokoro.wav
各モデル、初回の実行は時間がかかるようです。2回目から早くなるようなので、2回目の時間で計測していきます。
③-02. 結果一覧
Size | .cppの実行時間 | 実行時間画像 | Whisperの実行時間 | 速度比較 |
---|---|---|---|---|
tiny | 20秒 | 2分9秒(129秒) | 6.45倍 | |
base | 26秒 | 2分38秒(158秒) | 6.07倍 | |
small | 46秒 | 4分20秒(260秒) | 5.65倍 | |
medium | 1分50秒(110秒) | 7分18秒(438秒) | 3.98倍 | |
large | 3分19秒(199秒) | 11分41秒(701秒) | 3.5倍 |
実行時間としてはこのような形です。大きなモデルになるほど実行時間の高速性は薄れていきますが、それでも一番大きなlargeモデルで3.5倍の速さで実行できることに驚きです。 この速さなら十分に実用できますね。。。 M1のMacbookAirであり、FANもついていないのでもうちょっと遅くても全然驚かないんですが、、、 続いて文字起こし精度の確認のため、文字起こしの結果を見てみます。
tinyモデルの文字起こし結果
心、夏面装飾。
上、先生と私、一、私はその人を、常に先生と呼んでいた。
だからここでもただ先生と書くだけで、本味を合うちやけない。
これは、背景を幅かる演略というよりも、その方が私にとって自然だからである。
私はその人の記憶を呼び起こす事に、すぐ、先生と言いたくなる。
複で音っても心も違う同じ事である。予想予想欲しいカシラモジなどは、とても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは、構くらである。
その時私はまだわかわかしい証明であった。
その中級化を利用して、解析よくに行ったと思だ力、ぜひ恋という話が強い受け取ったので、私は、多少の金を組めんして、デカける事にした。
私は金の組みに、二三地をついやした。
ところが私が構くらについて、三角と立たないうちに、私を呼び起こせたと思だちは、急にくにもとから、帰れという伝方を受け取った。
電話には、母が病気だからとことはあったけれども、友達はそれを信じなかった。
友達は、金でから国元に色々やたちに、すすまない結構を知られていた。
彼は現代の習慣から言うと、結婚するにはあまり年が分かすぎた。
それに、漢人の途人が気にいらなかった。
それで、夏休みに当然帰るべきところを、わざと叫んでいたのである。
彼は、電話を私に見せて、同士をと相談をした。
私には、どうしていいか分からなかった。
けれども、実際彼の母が病気であるとすれば、彼は元より帰るべきはずであった。
それで、彼は、通討を変えることになった。
せっかく来た私は、一人取り残された。
学校の重要が始まるには、まだ大部比較があるので、
神奈暮らによってもよし、帰ってもよいという強く似た私は、
多分元のやどに止まる確認をした。
友達は中国のある子さんがのむすくで、神奈に不自由のない男であったけれども、
学校が学校なのと、年が年なので、生活の程度は、私とそう変わりもしなかった。
下がって、一人持ちになった私は別に学校なやどを探す面倒ももたなかったのである。
やどは、神奈暮らでも変異な方がくにあった。
たまつきだのはアイスクリームだのと言うはいからなものには、
長い奈わ手を一つこさなければ手が届かなかった。
車で一手も20線は取られた。
けれども、個人の別想は、そこここにいくつでも镆でられていた。
それに海へは5口かいので、海水横をやるには、死ぬく便利な知用しめていた。
私は毎日海へ入りに出かけた。
古いxぶり返った笑ぶ木の間を通り抜けて、急へ降りると、
この辺にこれほどの都会人士が住んでいるかと思うほど、
私は一緒に来た男や女で、砂の上が動いていた。
ある時は海の中が、戦闘のように黒い頭でごちゃごちゃしていることもあった。
その中に知った人を一人も持たない私も、
こういう人にやかな景色の中につつまれて、砂の上に寝そべって見たり、
日座が知らを涙に歌して、そこ以らを羽まわるのは、勇怪であった。
私は実に先生をこの雑頭の間に見つけた人である。
その時会がには、かけジャヤが2回があった。
私は太したはずみからその1回の方に生き慣れていた。
朝辺に大きなベッソを構えている人と違って、
名目に戦予の機能場を越しらえていない心いらの一色逆には、
ぜひともこうした共同機能場といった風なものが必要なのであった。
彼らはここで茶を飲み、ここで急速するほかに、
ここで回水ぎを洗濯させたり、ここで仕様はよい体を消えたり、
ここへ防止や火災を預けたりするのである。
回水に思たない私にも、もちものを抜まれる恐れはあったので、
私は海へ入る旅にその茶屋へ一災を抜き捨てることにしていた。
2
私がそのかけジャヤで先生を見た時は、
先生がちょうど気ものおぬいでこれから海へ入ろうとするところであった。
私はその時反対に、
抜れたからだお風に深して、水から上がってきた。
二人の間には、目を災にいる行くたの黒い頭が動いていた。
特別の事業のないかにり、
私は、ついに先生を見逃したかもしれなかった。
それほどはまべが混ざち、それほど私の頭が法万であったにもかかわらず、
私が、すぐ先生を見つけた人は、
先生が一人の性用人を連れていたからである。
その性用人の、すぐれて白いひふの色が、
かけジャヤへ入るやいなや、すぐ私の中央日いた。
銃水の日本の床を来ていたカレは、それを、小人の上にスポリト法りだしたまま、
腕組みをして海の方を向いてたっていた。
カレは、我々の白さるまた一つのほか、何者も肌につけていなかった。
私には、それが大一不思議だった。
私は、その普通か前に、有意が浜ままでいて、つなの上に仕上がみながら、長い間、
性用人の海へ入る様子を流れていた。
私の白いおろしたところは、少し子供かの上で、
そのすぐはきがホテルの裏口になっていたので、
私の実としている間に、大部多くの男が仕様を払びに出てきたが、
いずれも、どうと浮でとももは、出していなかった。
女は、ことさら肉を隠しがちであった。
体定は、頭にゴム性の尽きにおかぶって、
エビ茶やコンや、愛の色を涙に浮かしていた。
そういうあり様を目的したばかりの私の目には、
さるまた一つで住まして、みんなの前に立っているこの性用人が、
いかにも目ずらしく見えた。
彼はやがて、自分の訳を変える見て、
そこにこゴンディルにポンジンに、人々二ことを何か言った。
その日ポンジンは、つなの上に落ちた手ぬ具を広い上げているところであったが、
それを取り上げるやいなや、すぐ頭をつんで、うみの方へある気だした。
その人が、つなわち、先生であった。
私は、たにこうきちんのために、
並んで幅を降りていく二人の後ろす方を見守っていた。
すると彼らは、まっすぐに、涙の中に足を踏み込んだ。
そうして、頭はさの一層近くに、
外売さわいているタニンズの間を通り抜けて、
比較に外売さわいているタニンズの間を通り抜けて、
比較的広々したところへ来ると、二人ともを呼び出した。
彼らの頭が、小さく見えるまで、大きな方へ向いていった。
それから引き返して、また一直線に、ハマペマで戻ってきた。
駆けんじゃやえ帰ると、移動の水も浴びずに、すぐ体を吹いて、気も濃きて、
ささとどこかえいってしまった。
彼らの出ていった後、私は、やはり、
元の正義に越しを降ろして、たばこを吹かしていた。
その時は、たくしは、ポカンとしながら、先生のことを考えた。
どうも、どこかで見たことのある顔のように思われてならなかった。
しかし、どうしても、いつどこであった人か思い出せずにしなった。
その時の私は、くったくがないというより無視ろ、無料に苦しんでいた。
それで、明るひもまた、先生にあった事故を見測らって、わざわざかけじゃやまででかけてみた。
すると、性用人はこないで、先生一人、無料をかぶってやってきた。
先生は、目がねを取って大の上において、すぐ手抜いて頭をつつんで、スタスタはまお降りていった。
先生が、機能のようにさわがしいよくかくの中を通り抜けて、一人でおよぎだした時、私は、急にその後が追いかけたくなった。
私は、朝にずを頭の上まで羽化して、相当の深さのところまで来て、そこから先生を目指るしに抜き出を来た。
すると先生は、機能と違って、一種の個性を描いて、妙な方向から、機能方へ帰り始めた。
それで、私の目的は、ついに立せられなかった。
私がおかえ上がって、静くのタレル手を振りながらかけじゃやに入ると、先生は、もうちゃんと気持の起きて、いでちがいに、外へ出ていけた。
baseモデルの文字起こし結果
心 夏目相積 上 先生と私 一
私はその人を常に先生と読んでいた だからここでもただ先生と
書くだけで本命は打ち焼けない これは世間を幅かる遠慮というよりも
その方が私にとって自然だから である私はその人の記憶を呼び
起こすごとにすぐ先生と言いたく なる複手をとっても心持ちは
同じことである 予想予想しい菓子ラモジなどはとても使う気にならない
私が先生と知り合いになったのは カマクラであるその時私はまだ
若い所正であった初中休化を利用して 回征良くに行った友達から
ぜひ恋という話が気を受け取った ので私は多少の金を苦眠して
出かけることにした 私は金の苦眠に二三治をついやした
ところが私がカマクラについて 三日とたたないうちに私を呼び寄せ
た友達は急に国元から帰れという 電波を受け取った
電波には母が病気だからとこと あってあったけれども友達はそれを
信じなかった 友達は金手から国元に色をやたちに進まない結婚
を知られていた 彼は現代の習慣から言うと結婚するには
あまり年が分かすぎた それに漢人の 等人が気に入らなかった
それで夏休みに当然帰るべきところ をわざと叫けて東京の近くで遊んで
いたのである彼は電波を私に見せて どうしようと相談をした
私にはどうしていいかわからなかった けれども実際彼の母が病気で
あるとすれば彼は元より帰るべき はずであった
で彼はとうとう帰ることになった 接覚きた私は一人取り残された
学校の順要が始まるにはまだ 大部飛化図があるのでカマクラに
おってもよし帰ってもよいという 協軍にいた私は党文元の屋道に
止まる覚悟をした 友達は中国のあるし参加の息子で金に
不自由のない男であったけれども 学校が学校なのと年が年なので
生活の程度は私とそう変わり もしなかった
下がって一人ぼっちになった私は別に 学校な屋道を探す面動ももたなかった
のである 屋道はカマクラでも変畑な
法学にあった 玉月田のアイスクリーム
だのという背からのものには長い 縄手を一つこさなければ手が届か
なかった 車で行っても20戦は取られた
けれども個人の別総はそこここに いくつでも立てられていた
それに海へはごく近いので 海水欲をやるには死国便利な地位を
閉めていた私は毎日海へ入りに出かけ た
古い薬振り返った笑ぶきの間を通り 抜けて急いを折るとこの辺にこれ
ほどの都会人種が住んでいる かと思うほど一緒に来た男や女で
つなの上が動いていたある時は 海の中が戦闘のように黒い頭で
ごちゃごちゃしていることもあった その中に知った人を一人ももたない
私もこういう人にやかな景色の中に つつまれてつなの上に寝そべって
見たり日ざがしらを涙に歌して そこいらを羽まわるのはゆかいであった
私は実に先生をこのざっとうの間に 見つけ出したのである
元気会がにはかけじゃやが2件あった 私は太したはずみからその一件の
方にいきなれていた 端へんに大きな別草を構えている人と違って
明明に戦友の気がえばをこしら えていないここいらの一緒客にはぜひ
ともこうした共同を気がえじょといった 風なものが必要なのであった
ければここでちゃおのみここで急速する 他にここで回水義を選択させたり
ここで使用はゆい体を気をめたり ここへ防止やかさを預けたりする
のである回水義をもたない私にも もちものを温まれる恐れはあった
ので私は海へ入るたびにその茶やへ一歳を抜き捨てることにして
いた 二 私がそのかけじゃやで先生
を見た時は先生がちょうどきもの を抜いでこれから海へ入ろうとするところ
であった 私はその時反対に濡れたからだ
お風に深して水から上がってきた 二人の間には目を採ぎるいくたの
黒い頭が動いていた特別の事情 のないかにり私はついに先生を見
のがしたかもしれなかったそれほど 浜べが混雑しそれほど私の頭が
放滿であったにもかかわらず私が すぐ先生を見つけだしたのは
先生が一人の生養人を連れていた からであるその生養人のすぐ
くれて白い皮膚の色がかけじゃやへ 入るやいなやすぐ私の注意を引いた
純粋の日本の夕方を着ていた からはそれを正義の上にスポリと
放り出したまま腕組みをして海の 方を向いて立っていた
彼は我々の白さるまた一つのほか何もの も肌につけていなかった
私にはそれが大一不思議だった私はその 二日前に夕いが浜まで行って
繋の上にしゃがみながら長い間生養人 の海へ入る様子を眺めていた
私のシリを下ろしたところは少し小 高い岡の上でそのすぐはきがホテル
の裏口になっていたので私のじっと している間にだいぶ多くの男が
使用を浴びに出てきたがいずれもどう と腕とももは出していなかった
女はことさら肉を隠しがちであった 太定は頭にゴム製のづきん
をかぶってエビチャやコンや愛 の色を波々に浮かしていたそういう
アリ様を目撃したばかりの私の 目にはさるまた一つですましてみんな
の前に立っているこの製養人がいかに も珍しく見えた彼はやがて自分の
脇を帰り見てそこにここんでいる 日本人に一言二言何かいった
その日本人は繋の上に落ちた手 激を広い上げているところであった
それを取り上げる居ないやすぐ頭を つつんで海の方へ歩き出した
人が素直ち先生であった 私は単に高旗神のために並んで浜米を
降りていく二人の後ろ姿を見守 っていたすると彼らは真っすぐに
波の中に足を踏み込んだ そうして頭朝の急近くに湯湯湯
座いでいるタニンズの間を通り抜け て比較的広々をしたところへ来ると二人
ともを呼び出した彼らの頭が小さく見えるまで起きの方へ向いていった
それから引き返してまた一直線 に浜米まで戻ってきた
かけじゃやへ帰ると移動の水も 危ずにすぐ体を吹いてきもの起きて
さっさとどこかへ行ってしまった 彼らの出ていった後私はやはり
元の正義に腰を下ろしてたばこ を深していたその時私はぼかん
としながら先生のことを考え たどうもどこかで見たことのある顔
のように思われてならなかった しかしどうしてもいつどこであった
人か思い出せずにしまった その時の私はくったくがないというより
むしろ無料に苦しんでいた それで悪る日もまた先生にあった時刻を
見測らってわざわざかけじゃやまで でかけてみたすると正応人はこの
ないで先生一人無理笑顔をかぶって やってきた先生は眼鏡をとって
大の上に置いてすぐ手のぐいで 頭を包んでつたすたはまを降りて
いった先生が昨日のように騒がしい 翌角の中を通り抜けて一人で
およぎ出した時私は急にその後 が追いかけたくなった私は朝い水を
頭の上まで羽根かして相当の深さ のところまできてそこから先生
を目印に抜きで起きた すると先生は昨日と違って一瞬の
個性を描いて妙な方向から木の 方へ帰り始めたそれで私の目的
はついに立せられなかった 私がおかえあがって静くのたれる手を
振りながらかけじゃやに入ると先生は もうちゃんときもの起きていでちがい
に外へ出てきた
smallモデルの文字起こし結果
心 夏目沧石
常 先生と私
一 私はその人を常に先生と呼んでいた
だからここでもただ先生と書く だけで本名は打ち明けない
これは世間を幅かる遠慮という よりもそのほうが私にとって自然
だからである 私はその人の記憶を呼び起こす
ごとにすぐ先生と言いたくなる 筆をとっても心持ちは同じこと
であるよそよそしいかしら文字 などはとても使う気にならない
私が先生と知り合いになったのは 鎌倉である
その時私はまだ若々しい初生 であった
初中休暇を利用して海水浴に行った 友達から是非恋という葉書を受け
取ったので私は多少の金を クメンして出かけることにした
私は鎌のクメンに二三地をついや したところが私が鎌倉について
三日と立たないうちに私を呼び 寄せた友達は急に国元から帰れ
という伝法を受け取った 伝法には母が病気だからと
断ってあったけれども友達は それを信じなかった
友達は兼ねてから国元にいる親 たちに進まない結婚を強られて
いた彼は現代の週間から言うと 結婚するにはあまり年が若すぎた
それに漢人の当人が気にいらなか った
それで夏休みに当然帰るべきところ をわざと避けて東京の近くで
遊んでいたのである彼は伝法を私に 見せてどうしようと相談をした
私にはどうしていいかわからなかった けれども実際彼の母が病気である
とすれば彼は元より帰るべきはず であった
それで彼はとうとう帰ることになった せっかく来た私は一人取り残された
学校の授業が始まるにはまだだい ぶひかずがあるのでかまくらに
追っても良し帰っても良いという 競遇にいた私は当分元の宿に泊まる
覚悟をした 友達は中国のある氏参加の息子
で金に不自由のない男であった けれども学校が学校なのと年が
年なので生活の程度は私とそう 変わりもしなかった
したがって一人ぼっちになった私は 別に格好な宿を探す面倒も持たな
かったのである
宿はかまくらでも返秘な方学 にあった
まつきだのアイスクリームだの という廃殻の者には長い縄手を
一つ擦さなければ手が届かなかった 車で行っても二十線は取られた
けれども個人の別走はそこここに いくつでも立てられていた
それに海へはごく近いので海水翼 をやるには四国便利な地位を
占めていた私は毎日海へ入り に出かけた
古い薬ぶりかえった割ぶきの間 を通り抜けて急へ降りるとこの
辺にこれほどの都会人種が住んで いるかと思うほど秘書に来た
男や女で砂の上が動いていた ある時は海の中が千頭のように
黒い頭でごちゃごちゃしている こともあったその中に知った人
を一人も持たない私もこういう 賑やかな景色の中に包まれて
砂の上に寝そべってみたり膝 頭を波に打たしてそこいらを
跳ねまわるのは愉快であった 私は実に先生をこの雑頭の間
に見つけ出したのであるその時 海岸には賭けじゃやが二件あった
私はふとしたはずみからその一 件の方に生き慣れていた
派生編に大きな別装を構えている 人と違って命名に先友の着替え
場を越しらえていないここいらの 秘書客には是非ともこうした共同
着替え所といったふうなものが 必要なのであった
彼らはここで茶を飲みここで 急速する他にここで海水着を
選択させたりここで潮はゆい 体を極めたりここへ帽子や傘
を預けたりするのである 海水にお持たない私にも持物を
盗まれるおそれはあったので私 は海へ入るたびにその茶屋へ一
歳を脱ぎ捨てることにしていた 身
私がその賭けじゃやで先生を見 た時は先生がちょうど着物を脱い
でこれから海へ入ろうとするところ であった
私はその時反対に濡れた体を 風に吹かして自ら上がってきた
二人の間には目をさえぎる幾多 の黒い頭が動いていた
特別の事情のない限り私はつい に先生を見逃したかもしれなかった
それほど浜辺が混雑しそれほど 私の頭が豊満であったにもかかわら
ず私がすぐ先生を見つけ出した のは先生が一人の清洋人を連れて
いたからである
その清洋人の優れて白い皮膚の 色が賭けじゃやへ入るや否やすぐ
私の注意を引いた
純粋の日本の浴衣を着ていた彼 はそれを正義の上にスポリと放り
出したまま腕組みをして海の方 を向いて立っていた
彼は我々の白さるまた一つのほ か何者も肌につけていなかった
私にはそれが第一不思議だった 私はその二日前にゆいが浜まで
行って砂の上にしゃがみながら 長い間清洋人の海へ入る様子を
眺めていた
私の尻を下ろしたところは少し 小高い丘の上でそのすぐ脇がホテル
の裏口になっていたので私のじっと している間にだいぶ多くの男が
塩を浴びに出てきたがいずれも 銅と腕と桃は出していなかった
女はことさら肉を隠しがちであった 体体は頭にゴム製の図巾をかぶって
エビチャやコンやアイの色を 波間に浮かしていた
そういうありさまを目撃したばかり の私の目にはさるまた一つで
済ましてみんなの前に立っている この清洋人がいかにも珍しく見え
た
彼はやがて自分の脇を帰りみて そこに凝んでいる日本人に一言二
たこと何か言ったその日本人は 砂の上に落ちた手ぬぐいを拾い
あげているところであったがそれ を取り上げるや否やすぐ頭を
包んで海の方へ歩き出したその人 が砂はち先生であった
私は単に高岐震のために並んで 浜辺を降りていく二人の後ろ姿
を見守っていたすると彼らは まっすぐに波の中に足を踏み
込んだ
そうして遠朝の位置近くにわいわい 騒いでいる他人数の間を通り抜けて
比較的広びろしたところへ来る と二人とも泳ぎ出した
彼らの頭が小さく見えるまで沖の 方へ向いていった
それから引き返してまた一直線 に浜辺まで戻って来た
駆けじゃやへ帰ると井戸の水も 浴びずにすぐ体を拭いて着物を
着てさっさとどこかへ行ってしまった 彼らの出て行った後私はやはり
元の正義に腰を下ろしてたばこ をふかしていた
その時私はぽかんとしながら 先生のことを考えた
どうもどこかで見たことのある 顔のように思われてならなかった
しかしどうしてもいつどこであった 人か思い出せずにしまった
その時の私はくったくがないという よりむしろ無料に苦しんでいた
それであくる日もまた先生にあった 時刻を見図らってわざわざ駆けじゃやまで
出かけてみたすると正義用人は来ない で先生一人麦わらぼうをかぶって
やって来た先生は眼鏡を取って 台の上においてすぐ手ぬぐいで頭
を包んでつたすた浜を降りていった 先生が昨日のように騒がしい欲覚
の中を通り抜けて一人で泳ぎ出した 時私は急にその後が追いかけたく
なった私は浅い水を頭の上まで 跳ねかして相当の深さの所まで
来てそこから先生を目印に抜き で起きたすると先生は昨日と違
って一種の個線を描いて妙な方向 から岸の方へ帰り始めたそれで
私の目的はついに達せられなかった 私がおかえあがってしずくのたれる
手を振りながら駆けじゃやに入る と先生はもうちゃんと着物を着て
入れ違いに外へ出てきます
mediumモデルの文字起こし結果
心 夏目漱石
女王 先生と私
一 私はその人を常に先生と呼んで
いただからここでもただ先生 と書くだけで本名は打ち明けない
それは世間をはばかる遠慮という よりもその方が私にとって自然
だからである私はその人の記憶 を呼び起すごとにすぐ先生と
言いたくなる筆をとっても心持 は同じことであるよそよそしい
頭文字などはとても使う気にならない 私が先生と知り合いになったのは
鎌倉であるその時私はまだ若々しい 書生であった初中休暇を利用して
海水浴に行った友達から是非恋 というはがきを受けとったので
私は多少の金を区面して出かける ことにした私は金の区面に二三
地を費やしたところが私が鎌倉 について三日と経たないうちに
私を呼び寄せた友達は急に国元 から帰れという伝報を受けとった
伝報には母が病気だからと断って あったけれども友達はそれを信じ
なかった友達はかねてから国元 にいる親たちに進まない結婚を
強いられていた彼は現代の習慣 からいうと結婚するにはあまり
歳が若すぎたそれに肝心の当人 が気にいらなかったそれで夏休
みに当然帰るべきところをわざ と避けて東京の近くで遊んでいた
のである彼は伝報を私に見せて どうしようと相談をした私には
どうしていいかわからなかった けれども実際彼の母が病気である
とすれば彼はもとより帰るべき はずであったそれで彼はとうとう
帰ることになったせっかく来た 私は一人とり残された学校の授業
が始まるにはまだ大分ひかずが あるので鎌倉におってもよし帰
ってもよいという境遇にいた私 は当分元の宿に泊まる覚悟をした
友達は中国のある子参加の息子 でかねに不自由のない男であった
けれども学校が学校なのと歳が 歳なので生活の程度は私とそう
かわりもしなかったしたがって 一人ぼっちになった私は別に格好
な宿を探す面倒も持たなかった のである宿は鎌倉でも変避な方
がくにあった玉つきだのアイス クリームだのというハイカラの
ものには長い縄手を一つこさなけれ ば手が届かなかった車で行っても
二十線は取られたけれども個人 の別荘はそこここに幾つでも
立てられていたそれに海へはごく 近いので海水浴をやるにはしごく
便利な地位を占めていた私は毎日 海へ入りに出かけた古いくすぶり
かえった藁吹の間を通り抜けて 磯へ降りるとこの辺にこれほど
の都会人種が住んでいるかと思う ほど秘書に来た男や女で砂の上
が動いていたある時は海の中が 銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃ
していることもあったその中に 知った人を一人も持たない私も
こういう賑やかな景色の中に包 まれて砂の上に寝そべって見たり
膝頭を波に打たしてそこいらを 跳ねまわるのは愉快であった私
は実に先生をこの雑踏ざっとう の間に見つけ出したのであるその
時海岸には賭けじゃやが二軒あった 私はふとしたはずみからその一
軒の方に行き慣れていた馨へん に大きな別荘を構えている人と
違って明明に先遊の着替え場を 腰らえていないここいらの秘書
客には是非ともこうした共同着替え 所といったふうなものが必要なの
であった彼らはここで茶を飲み ここで休息するほかにここで海水
着を洗濯させたりここで潮はゆい 体を清めたりここへ帽子や傘を
預けたりするのである海水着を 持たない私にも持物を盗まれる
恐れはあったので私は海へ入る 度にその茶屋へ一切を脱ぎ捨てる
ことにしていた 二
私がその掛けじゃやで先生を見た 時は先生がちょうど着物を脱い
でこれから海へ入ろうとするところ であった私はその時反対に濡れた
体を風に吹かして水から上って きた二人の間には目を遮る幾多
の黒い頭が動いていた特別の事情 のない限り私はついに先生を見
逃したかも知れなかったそれほど 浜辺が混雑しそれほど私の頭が
豊満ほうまんであったにもかかわ らず私がすぐ先生を見つけ出した
のは先生が一人の西洋人を連れて いたからである
その西洋人の優れて白ひふの色 が掛けじゃやへ入るや否やすぐ
私の注意をひいた純粋の日本の浴衣 を着ていた彼はそれを衝技の上
にすぽりと放り出したまま腕 組みをして海のほうを向いて立って
いた彼は我々の履さる股ひとつ のほか何者も肌につけていなかった
私にはそれが第一不思議だった 私はその二日前に夕居浜まで行って
砂の上にしゃがみながら長い間 西洋人の海へ入る様子を眺めて
いた私の尻を下ろしたところは 少し小高い丘の上でそのすぐ脇
がホテルの裏口になっていた ので私のじっとしている間に大
部多くの男が潮を浴びに出てきた がいずれも胴と腕とももは出して
いなかった女はことさら肉を隠 しがちであった大抵は頭にゴム
製の図巾をかぶって海老茶や 粉や愛の色を波間に浮かしていた
そういう有様を目撃したばかり の私の眼には猿またひとつです
ましてみんなの前に立っている この西洋人がいかにも珍しく見え
た彼はやがて自分の脇を帰り 見てそこに子ごんでいる日本人
に一言二言何か言ったその日本人 は砂の上に落ちた手ぬぐいを拾
い上げているところであったが それを取り上げるや否やすぐ頭を
包んで海の方へ歩き出したその 人がすなわち先生であった私は
単に好奇心のために並んで浜辺 を降りて行く二人の後ろ姿を見
まもっていたすると彼らはまっすぐ に波の中に足を踏み込んだそうして
遠浅の磯いそ近くにわいわい騒い でいる他人図の間を通り抜けて
比較的ひろびろしたところへ来る と二人とも泳ぎ出した彼らの頭
が小さく見えるまで沖の方へ向 いて行ったそれから引き返して
また一直線に浜辺まで戻ってきた 駆けじゃやへ帰ると井戸の水も
浴びずにすぐ体を拭いて着物を 着てささとどこかへ行ってしま
った彼らの出て行った後私はやはり 元の将棋に腰を下ろして煙草を
吹かしていたその時私はぽかんと しながら先生のことを考えたどう
もどこかで見たことのある顔の ように思われてならなかったしかし
どうしてもいつどこで会った人 か思い出せずにしまったその時
の私は屈択くったくがないという よりむしろ無良に苦しんでいた
それであくる日もまた先生に会 った時刻を見計ってわざわざ駆け
じゃやまで出かけてみたすると西洋 人は来ないで先生ひとり麦わら
棒をかぶってやってきた先生は 眼鏡をとって台の上に置いてすぐ
手拭いで頭を包んですたすた浜 を降りて行った先生が昨日のように
騒がしい浴角の中を通り抜けて 一人で泳ぎ出した時私は急にその
後が追いかけたくなった私は浅い 水を頭の上まで跳かして相当の
深さのところまで来てそこから 先生を目印に抜き出を切ったすると
先生は昨日と違って一種の古線 を描いて妙な方向から岸の方へ
帰り始めたそれで私の目的はついに 達せられなかった私がおかえ上
って雫の垂れる手を振りながら 駆けじゃやに入ると先生はもう
ちゃんと着物を着て入れ違いに 外へ出て
largeモデルの文字起こし結果
心 夏目漱石
上 先生と私
一 私はその人を常に先生と呼んで
いた だからここでもただ先生と書く
だけで本名は打ち明けないこれは 世間をはばかる遠慮というより
もそのほうが私にとって自然だから である私はその人の記憶を呼び
起すごとにすぐ先生と云いたくなる 筆をとっても心持ちは同じこと
であるよそよそしい頭文字など はとても使う気にならない
私が先生と知り合いになったのは 鎌倉であるその時私はまだ若々しい
書生であった初中休暇を利用して 海水浴に行った友達から是非来い
というはがきを受け取ったので 私は多少の金を苦面して出かける
ことにした私は金の苦面に二三 地を費やしたところが私が鎌倉
に着いて三日と経たないうちに 私を呼び寄せた友達は急に国もと
から帰れという電報を受け取った 電報には母が病気だからと断って
あったけれども友達はそれを信じ なかった友達はかねてから国もと
にいる親達に進まない結婚を強 られていた彼は現代の習慣から
云うと結婚するには余り年が若 すぎたそれに肝心の当人が気に
いらなかったそれで夏休みに当然 帰るべきところをわざと避けて
東京の近くで遊んでいたのである 彼は電報を私に見せてどうしよう
と相談をした私にはどうしていい かわからなかったけれども実際
彼の母が病気であるとすれば彼 はもとより帰るべき筈であった
それで彼はとうとう帰ることになった せっかく来た私は一人取り残された
学校の授業が始まるにはまだだい ぶ日数があるので鎌倉に居って
もよし帰ってもよいという境遇 にいた私は当分もとの宿に泊まる
覚悟をした友達は中国のある資産 家の息子で金に不自由のない男
であったけれども学校が学校なの と年が年なので生活の程度は私
とそう変りもしなかったしたが って一人ぼっちになった私は別
に学校な宿をさがす面倒も持たなかった のである宿は鎌倉でもへんぴ
な方角にあった玉つきだのアイスクリーム だのというはいからのものには
長い縄手を一つこさなければ手が 届かなかった車で行っても二十
千は取られたけれども個人の別荘 はそこここに幾つでも建てられて
いたそれに海へは極近いので海水浴 をやるには至極便利な地位を占
めていた私は毎日海へ入りに出かけ た古いくすぶり返った藁吹の間
を通り抜けて急い降りるとこの 辺にこれほどの都会人種が住んで
いるかと思うほど秘書に来た男 や女で砂の上が動いていた
ある時は海の中が銭湯のように 黒い頭でごちゃごちゃしている
こともあったその中に知った人 を一人も持たない私もこういう
賑やかな景色の中に包まれて砂 の上に寝そべって見たり膝頭を
波に打たしてそこいらをはねまわる のは愉快であった
私は実に先生をこの雑踏の間に 見つけ出したのであるその時海岸
には賭屋が二軒あった私はふと した弾みからその一軒の方に生
慣れていた長谷辺に大きな別荘 を構えている人と違って明々に
専用の着替え場をこしらえていない ここいらの秘書客には是非とも
こうした共同着替え所といった ふうなものが必要なのであった
かれらはここで茶を飲みここで 休息する他にここで海水儀を洗濯
させたりここで潮はゆい体を清 めたりここへ帽子や傘を預けたり
するのである海水儀を持たない 私にも持物を盗まれる恐れはあった
ので私は海へ入る度にその茶屋 へ一切を脱ぎ捨てることにして
いた二
私がその賭屋で先生を見た時は 先生がちょうど着物を脱いでこれ
から海へ入ろうとするところで あった私はその時反対に濡れた
体を風に吹かして水から上って きた二人の間には眼を遮る幾多
の黒い頭が動いていた特別の事情 の無い限り私はついに先生を見
逃したかも知れなかったそれほど 浜辺が混雑しそれほど私の頭が
放慢であったにもかかわらず私が すぐ先生を見つけ出したのは先生
が一人の西洋人を連れていたから であるその西洋人の優れて白い
皮膚の色が賭屋へ入るや否やすぐ 私の注意を引いた純粋の日本の
浴衣を着ていた彼はそれを将棋 の上にすぽりと放り出したまま
腕組をして海の方を向いて立って いた彼は我々の履く猿股ひとつ
の他何者も肌につけていなかった 私にはそれが第一不思議だった
私はその二日前に結賀浜まで行って 砂の上にしゃがみながら長い間
西洋人の海へ入る様子を眺めて いた私の尻を下したところは少し
小高い丘の上でそのすぐ脇がホテル の裏口になっていたので私のじ
っとしている間にだいぶ多くの 男が潮を浴びに出て来たがいずれ
も胴と腕と桃は出していなかった 女は事さら肉を隠しがちであった
最低は頭にゴム製の頭巾をかぶ って海老茶や紅や藍の色を波間
に浮かしていたそういう有様を 目撃したばかりの私の眼には猿
股ひとつですましてみんなの前に 立っているこの西洋人が如何にも
珍しく見えた彼はやがて自分の 脇をかえり見てそこにこごんで
いる日本人に一言二言何か云った その日本人は砂の上に落ちた手
ぬぐいを拾い上げているところ であったがそれを取り上げるや
否やすぐ頭を包んで海の方へ歩き 出したその人がすなわち先生であった
私は単に好奇心のために並んで 浜辺を降りて行く二人の後ろ姿
を見守っていたすると彼らはまっすぐ に波の中に足を踏み込んだそう
して遠浅の磯ちかくにわいわい さわいでいる他人ずの間を通り
抜けて比較的広々したところへ来る と二人とも泳ぎ出した彼らの頭
が小さく見えるまで沖の方へ向いて 行ったそれから引き返してまた
一直線に浜辺まで戻って来た掛 邪屋へ帰ると井戸の水も浴びず
にすぐ体を拭いて着物を着てさ っさとどこかへ行ってしまった
彼らの出て行った後私はやはり 元の正義に腰を下して煙草を吹
かしていたその時私はぽかんと しながら先生の事を考えたどう
もどこかで見た事のある顔のように 思われてならなかったしかしどう
してもいつどこで逢った人か思い 出せずにしまったその時の私は
くったくがないというよりむしろ 無良に苦しんでいたそれであくる
日もまた先生に会った時刻を見 計らってわざわざ掛邪屋まで出
かけてみたすると西洋人は来ない で先生一人麦わら帽をかぶって
やって来た先生は眼鏡をとって 台の上に置いてすぐ手拭いで頭
を包んですたすた浜を下りて行った 先生がきのうのように騒がしい
浴角の中を通り抜けて一人で泳ぎ 出した時私は急にその後が追い
かけたくなった私は浅い水を頭 の上まで跳かして相当の深さの
所まで来てそこから先生を目印 に抜き出を切ったすると先生は
きのうと違って一種の弧線を描いて 妙な方向から岸の方へ帰り始めた
それで私の目的はついに達せられ なかった私が丘へ上って雫の垂
たれる手を振りながら掛邪屋に 入ると先生はもうちゃんと着物
を着て入れ違いに外へ出て行く
上記のようになっています。tinyなどの軽量のモデルは誤変換している箇所も結構変わっています。largeについてはWhisperとも少し誤変換の箇所が変わっていますが、概ね同じような内容になっています。高速化されていることもあり、largeモデルの実行がそこまで苦にならなそうなので、一番精度の高いlargeモデルを使っていきたいですね。 文字起こし実行後にも本体底面はそこまで熱くなっていませんでした。コンバート作業はかなり時間かかりましたが、そこさえ乗り越えればかなり快適に文字起こしが可能です。 ノートPCだけで会議する→録音音声取得→文字起こしが十分行えますね。
③-03. スレッド数を増やしたら早くなるのか
せっかくなのでスレッド数を増やしたら早くなるのか試してみます。実行するコマンドにオプションを追加します。 デフォルトでは4スレッドになるということで8スレッドにしてみます。
./main -m models/ggml-large.bin -l ja -otxt --output-file ./files/kokoro.large8 -f files/kokoro.wav -t 8
結果、、、
おそくなってるじゃねーか!しかも本体底面も結構温かくなってしまってます。これはデフォルトのまま使ったほうが良さそうですね。M1は8コアのうち4コアが高効率コア・残りの4コアがパフォーマンスコアとなっており、入り混じって使うとあんまり上手く行かず速度が出ないのかなと勝手に予想。
④まとめ
本家Whisperと比較して3.5倍速での高速実行が可能ということで凄まじい効率化が図られています。GPUを積んでいないノートPCでも使っていけるツールになるのではないかと、、、 いや、MacはGPU積んでるんですよね。。 Windowsのintel搭載ノートPCでも試したい、、、
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